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目に見えない環境汚染時代を生き抜くために36

環境ジャーナリスト 佐藤恵里

◇日本人はどこからやってきたのか
◇先住民の叡智から学ぶ多民族共生社会


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 桜のつぼみも膨らみ始め、1月下旬の沖縄から5か月にわたり日本列島を縦断する桜前線が待ち遠しい今日この頃です。三寒四温が続いておりますが、 いかがお過ごしでしょうか。3月と言えば卒業式を思い出される方もいらっしゃるのでは。会員の皆さまの多くは地元で開業されているケースが多いことと思わ れますが、地元を離れてサラリーマン生活を送ってこられた幼馴染がUターンして再会するかもしれません。桜が咲く頃に故郷の小学校や中学校を訪れてみては いかがでしょうか。

 桜は日本の自然美や美学の象徴とされてきましたが、これほど美しく、そして、はかない花が他にあるでしょうか。散りゆく桜の哀愁を感じさせる和歌 が万葉集や古今和歌集にも数多く残されています。当時から日本人の感性は四季を彩る自然の美の移ろいにより涵養されてきたのでしょう。久しぶりに世界各国 で桜を植樹している造園家の友人と再会したのですが、土壌や気候条件などが揃わないと桜を咲かせるのは大変難しいそうです。

 縄文桜や神代桜が日本全国に点在していますが、日本三大桜(天然記念物)といえば、福島県の三春の滝桜。樹齢は推定千年以上の紅枝垂桜ですが、佐 藤理事長の故郷近郊にも、「も〜の〜す〜ご〜い(笑点風)」桜があります。山梨県北杜市武川町の山高神代桜は樹齢2千年とも言われており、日本で最古最大 級の桜です。最後は岐阜県本巣市の淡墨桜で、散り際に独特の淡い墨色になることに因んでいます。故宇野千代さんが朽ちかけた老桜の保護活動を始め見事に蘇 生したことで有名になりました。

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 桜の起源はヒマラヤにあり中国を渡って日本にやってきたと言われています。しかしながら、日本にはヤマザクラなど野生種9種類を基本に、変種を含めて約 100以上の桜があり、園芸品種を含めると200種類にのぼるそうです。植物に限らず外来種は数多くありますが、日本という島国で育つと独特の進化を遂げ ていくようです。それは私たち日本人にも当てはまるのではないでしょうか。

 科学の進歩からDNAの解析が進み、これまで分からなかったことが見えてくるようになりました。2002年には世界に先駆けて私たちが主食として いるイネゲノム(稲のDNA)の配列が完全解析され、現在は、育てやすくたくさん収穫できる稲の品種を作りだそうとしています。また、稲のDNA解析に よって、長年稲の起源とされてきた中国に東南アジア(フィリピン、マレーシア、インドネシア、ベトナム)の島々から伝わったことが判明しました。

 一方で、遺伝子組み換え作物(GMO)の危険性についても世界的に追及されるようになりましたが、異なる生物の間で行われる遺伝子操作は既に日常 茶飯事となり、知らず知らずのうちに食卓にものぼるようになりました。この問題については別の機会にご説明したいと思いますが、とうもろこし、大豆、菜種 は加工食品などで既に数多く流通していることに留意したいところです。NON−GMO(遺伝子組み換えではない)という表示=安全基準と覚えておくと良い でしょう。

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 ここでは、ずばり、日本人がどこからきたのか、私たちの祖先をDNAで辿ってみましょう。人類はアフリカ大陸で誕生し、数十万年をかけて五大陸に 派生していったと考えられています。ユーラシア大陸の東端にある日本列島には、北方及び南方ルートを通ってさまざまなグループが辿りついたとされていま す。こうした話はかつては御伽話のように語られていたのですが、DNA解析をすることで、私たちの祖先のグループを特定できるようになったのです。

 筆者は典型的な日本人のタイプとは異なるらしく、それを不思議に感じている友人から『祖先遺伝子検査』キットが送られてきました。数年前にニュー ヨークに出張した際に、祖先を辿るDNA検査が大流行していることを耳にしていたのですが、日本でもバイオベンチャーが似たようなサービスを行っていたの です。ニューヨークに住む友人のギリシャ系アメリカ人の旦那は、同検査を行ったところ、嫌っていたアシュケナージ(ユダヤ系)のDNAが含まれていたこと に大ショックを受けていました。

 日本ではジェネシスヘルスケア社が同分野のパイオニアとのことで、祖先遺伝子検査のみならず、生活習慣病の発症リスク判定をはじめとする遺伝子検 査もやっています。やり方は簡単。同封されているキットの綿棒で頬の内側をこすって容器に入れて返送するだけ。あとは結果を待つのみ。佐藤理事長をはじ め、佐藤という姓名は全国一多く、平将門を討った藤原秀郷の末裔と言われていますが、今回の調査で判明するルーツは約2万年〜5万年前に誕生したグループ です。

 同社によれば、現代の世界の人々は始祖「ミトコンドリア・イブ」から派生した35人の母親の子孫とのこと。日本人の約95%は、その中の9人を起 源とするハプログループに分類されます。誕生時期や場所も移動の経路も日本における割合もまちまちですが、大きく下記の9タイプに分けられるハプログルー プが私たちの祖先であることがDNAの解析から分かるようになったのです。母から子へのみ伝えられるミトコンドリア系統研究の賜物と言えましょう。

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 さて、気になる9タイプの内容ですが、次のような分類になっています。()内は、日本人の割合を示しています。

D  東アジア最大集団(約35%)
M7 幻の陸地スンダランドの末裔・・?(約15%)
B  太平洋を渡った日本最初の移住民(約10%〜20%)
G  氷河期を越えた北方民(約7〜10%)
A  マンモスハンターと呼ばれた狩猟民(約7%)
F  東南アジアの冒険者(約5%)
M9 険しき道を越えた山の民(約3%)
M8 北方漢民族の系譜(約3%)
N9 アイヌの祖、中国起源渡来人(約7%)
?  日本人少数派(残りの5%。他のグループに属する)

 筆者の検査結果はBでした。前述の稲作の起源ではありませんが、約5万年〜4万年前に東南アジアで生まれたグループで、海を渡り環太平洋に散ら ばったそうです。個人的には北方系だと思っていましたが、中には北方からアメリカ大陸に渡り、先住民になったグループもいると伺い納得しました。冒険者の 精神を強くもっていることがBグループの特徴ということで、島国に留まっていられない性格や海を見ているだけでワクワクするのも、そんなDNAの仕業なの かもしれません。

 桜の木もヒマラヤの険しき道を越えた山の民が日本にもたらしたものなのかもしれません。縄文時代は未開の時代と長年考えられてきましたが、近年の さまざまな発掘調査や考古学の進歩により、これまでの認識とは異なり、高度な技術をもった人々が暮らしていたことが明らかになってきました。それでは、縄 文人は一体どこからやってきたのでしょうか。第一に、上記のAグループが約3万年前〜2万年前にバイカル湖周辺で誕生し、北海道や東北地方の縄文人になっ たという説があります。

 一方、沖縄で発見された日本で最古の人骨、旧石器時代の「港川人」は縄文人の祖先ではないかと言われてきましたが、近年の研究で、九州以北の縄文 人とはルーツが異なり、むしろオーストラリアやニューギニアの先住民に近いことが判明しています。上記のM7グループの幻の陸地スンダランドとは、約5万 年前、東南アジア一帯が陸地であった頃の名称ですが、そこからオーストラリアやニューギニア、沖縄に拡がっていったようです。沖縄にはM7グループが多く 存在します。

 縄文人は単一ではなく様々なグループがミックスしており、弥生時代には大量の人口流入がありましたので、今や、縄文のDNAは約10%に薄まって しまいました。現在、ヨーロッパ各国ではシリア難民の受入れ問題で紛糾していますが、異民族の大量受入と共に同化してきた先進事例を実は日本がもっている ことを自覚している人は多くありません。日本は大陸で集団から外れた人々の吹き溜まりだったという説も、さまざまな人々を受入れてきた縄文人の精神性を物 語っています。

 ◇先住民の叡智から学ぶ多民族共生社会

 縄文時代の日本人は、1万2千年前の世界ではあり得なかった薄さ5ミリの土器をつくり、麻の衣装やファッショナブルなアクセサリーを身にまとって いた進歩人でした。しかも、1万2千年以上前から1万年以上続いた縄文時代の遺跡からはまとまった武器は見つかっておらず、平和な暮らしをしていたことが 分かります。土偶に象徴されるように女性を大切にし、子どもたちを皆で育てていたことも分かってきました。現代風に言えば、自然と調和したロハスな生活を 送っていたのです。

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 そのライフスタイルはアメリカ先住民にも共通しているところがあります。アメリカ合衆国はGDP最大の最強国となりましたが、500年も遡れば、 北米は、『亀の島』と信仰していたアメリカ先住民が暮らす大地だったのです。70年代にピューリッツァ賞を受賞したアメリカの詩人ゲーリー・スナイダー は、詩集・説話集『亀の島』の中で先住民を再評価し、動植物との共生や禅の思想を説いています。そして、アメリカ人は亀の島を尊重しつつ再定住していかな ければならないと唱えています。

 ところが、大量生産大量消費社会の象徴のようなドナルド・トランプ氏の勢いが止まりません。彼が不動産王と呼ばれるようになって久しいですが、そ もそも、亀の島に暮らしていた先住民には土地を所有するという概念がありませんでした。アメリカ合衆国は、先住民の壮絶な殺戮を繰り返した挙句、居留区に 追いやって建国した国です。先住民にとって土地は誰のものでもなく、川は兄弟であり、動物は人間を癒してくれるもの。そのことを省みずに土地を害したなら ば、その者は滅びるだろうと伝えています。

 筆者が70年代後半に暮らしたアラスカ州にも先住民(ネイティヴアメリカンやエスキモー、イヌイット)がおり、現地の小学校で自然と仲良くなった のはルーツの近い少数民族同士でした。都市部でアルコールやドラッグ漬けになった先住民が目立つようになってきたのはアラスカ州だけではありません。現 在、アルコールやドラッグ依存者の問題は深刻化しており、一部の居留区ではカジノ経営等で潤いながらもモラルや治安の悪化が進んでいます。隔離と同化政策 による成れの果ての姿でしょう。

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 先住民の問題はアメリカだけではありません。オーストラリアの先住民、アボリジニもそうです。アボリジニの長老たちは白人社会の中で子孫を残すこ とを良しとせずこの世から消え去ろうとしています。彼らは5万年以上前からオーストラリア大陸で狩猟採集を続けてきましたが、イギリスの植民地となり壮絶 な迫害に晒されたのです。白人は先住民を野蛮で未開な人間と決めつけてきましたが、歴史が真実を証明する日がいずれやってくるでしょう。

 トランプ氏は昨年末にイスラム教徒の入国を禁止すべきだという主張をし、第二次世界大戦中の日系人強制収容所についても否定しませんでした。今や 世界は形を変えた帝国主義政策の末期症状が随所に噴出しているにもかかわらず、それを認めたくない、過去の栄光にすがりたい人々のハートをトランプ氏が鷲 掴みにしているかのようです。メキシコからの違法移民を防ぐために、メキシコのお金で『万里の長城』を築こうと群衆を煽っています。

 トランプ氏はメキシコ人が麻薬や犯罪を持ち込んでいるとしていますが、ヒスパニック系の移民がいなければ成り立たないのも米国社会の現実です。第 一次湾岸戦争のときの志願兵の多くはヒスパニック系の若者でした。彼らの中には英語のマニュアルが読めず兵器の使用にも支障が生じたことが報告されていま すが、イラク戦争でも海兵隊の約15%がヒスパニック系兵士であり死傷者も多数でています。アメリカ人口約3億1千万人中、実に約5千5百万人がヒスパ ニック系アメリカ人なのです。

 しかしながら、合法的なヒスパニック系アメリカ人が不法移民と同一視されることを快しとせずトランプ氏を支持しているというのも頷けます。努力を重ねて アメリカ市民権を取得した人々からすれば大迷惑なのでしょう。民族自決が叫ばれて旧宗主国から第二次世界大戦後に次々と独立を果たしたアフリカやアジア諸 国においても、同一民族間の軋轢やひずみが生じ紛争が絶えません。中東の混乱は、シーア派とスンニ派の闘いと置き換えることもできます。

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 果たして多民族共生社会は実現するのでしょうか?その答えはイエスです。日本は多民族のルーツをDNAにもちながらも単一民族っぽく生きている稀な人種 であると言えましょう。多様性を受入れてきた先人がいたからこそ、日本には縄文時代、平安時代、江戸時代という地球上でも稀にみる平和な時代が続いたので しょう。とはいえ、特殊な日本のケースを現実世界にあてはめることはできません。

 世界の紛争の根源とも言われるイスラエルとパレスチナ間の紛争を長年にわたって見つめてきましたが、両者の共存のヒントにエルサレム旧市街で気づ いたことがあります。エルサレムには城壁に囲まれた旧市街があり、ユダヤ人地区、ムスリム地区、キリスト教徒地区、アルメニア人地区に分かれています。 度々訪問していますが、そこは世界中から毎年350万人以上の観光客が巡礼にやってくる場所です。

 キリスト教徒地区に建つ聖墳墓教会はキリストが十字架に磔にされたゴルゴダの丘のあった場所とされているところですが、こちらはカトリック教会、東方正 教会、アルメニア使徒教会、コプト正教会、シリア正教会の共同管理となっています。つまり、旧市街の中では多民族や多宗派が共生していることに気づいたの です。紛争が激化した年は旧市街も閑散としておりましたが、そうしたときには「紛争はこりごり」「壁の中では共存しているのに」という声が聞こえてきまし た。

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 イスラム教もキリスト教も仏教も新興宗教も確執が絶えませんが、聖墳墓教会の中では各教会が共存しています。また、エルサレムの街は西側のユダヤ人地区 と東側のパレスチナ人地区に分かれているのですが、壁がある訳ではありません。ダマスカス門というエルサレムからダマスカスに繋がる旧市街の北側の門をで て西側に歩いていくと、いつしか人も街並みも変わるのです。決して平和な状態ではありませんが、複雑に入り組みつつ共存しています。

 もう一箇所はニューヨークのマンハッタンです。そこには世界中から来るビジネスッマンたちが鎬を削り合っていますが、住んでいる人たちの出自はまちまち です。ミッドタウンのダイヤモンド通りには正統派のユダヤ人が店を構え、チャイナタウンでは中国語が飛び交い、リトルイタリーにはイタリア人が、ハーレム には黒人が多く、北部にはヒスパニック系のコミュニティがあるなど、まるでモザイクのように多人種が共生しているのです。

 マンハッタンという小さな島にひしめきあいながら共生しているだけでなく、193カ国の代表が集う治外法権の国連本部もあります。パリやロンドン、フラ ンクフルトや香港、シンガポールや上海も人種のダイバーシティは見受けられますが、マンハッタンほど顕著ではありません。多人種がマンハッタンという島で まるでミルフィーユのように層をなしながら相互依存しつつも過度に干渉することなく生きている姿は圧巻でもあります。

 マンハッタンは巨大な1枚の岩盤でできており、その断片がセントラルパークで顔をだしています。東京の山手線内の面積とほぼ同じ広さしかありませんが、 17世紀までは先住民が暮らしていました。そこに入植したオランダ人がただ同然で買い取ったのです。当時はオランダの首都アムステルダムに因んでニュー・ アムステルダムと呼ばれていましたが、英国領となりニューヨークと改名され、独立戦争を経て米国となったのです。

 今月は再びNY出張に行ってきます。マンハッタンの中心地にあるグランド・セントラルステーションにおいてジャパン・ウィークという日本の文化や食、観 光を振興するためのイベントが開催されるのです。3年前に創業100年を迎えた同駅は取り壊しの危機などの紆余曲折を経て1日平均70万人が利用するター ミナル駅として賑わっています。日本の駅ビルのように数多くの飲食店や小売店もあり、ショッピング目的の客もやってきます。

 アメリカの新聞の一面記事を飾ったことのある日本人建築家の伊藤節雄さんは、先住民のリーダーとして『ラスト・オブ・モヒカン』などの映画にも出演した ことのあるラッセル・ミーンズさんと親交があり、同氏が著した自叙伝『白人が避けてきた道』というベストセラーの邦訳版を出版すべく奔走していました。し かしながら原著で5百頁以上ある本を邦訳すると3倍量になることが判明し、出版不況の続く日本では断念せざるを得なかったとのこと。

 同氏は自由と豊かな国のイメージの裏側で行われてきた策略が世界各国で横行していることに警鐘を鳴らしており、自身が経験してきたことを詳らかにするこ とで、犠牲者を減らしたいと活動しています。伊藤節雄さんは著名な建築家として、ニューヨークの富裕層が集うリゾート地のハンプトンにとてつもなく大きな 邸宅を建築し、一躍脚光を浴びました。十年以上前に友人グループで遊びに行ったときには、邸宅の随所に綻びが生じており手抜き工事が原因だとぼやいていま した。

 伊藤さんはアーチストとして第二の人生を歩まれ、インディアンの聖地を模した造形を玄関いっぱいに敷き詰めていました。日本でも個展をやりたいと仰って いましたが、ユタ州に引越された後、伊藤さんが亡くなったことを伝え聞いたのは一昨年前のことでした。伊藤さんとお会いしたのは数回に過ぎませんが、伊藤 さんが伝えたかったことは、先住民のことを忘れないでほしい、自然、大地を大切にしてほしいというメッセージに他なりませんでした。

 日本にもアメリカ先住民のロハスなライフスタイルや自然との共生スピリットを学ぼうと各地域で招聘イベントやセミナーなどが開催されています。今後はそ うした活動にも注目したいと考えています。先住民の中には「語り部」と呼ばれる昔の記憶を持っている人が少なからず存在しています。彼らの役割は、自らの 部族が大きな転換期に差しかかったときに、自らのルーツを思い起こさせて、自分とは何かというアイデンティティを自覚させることによって誤った道に進まぬ ように促すものです。

 私たち日本人も又、それを問い直す時期に差しかかっているのかもしれません。

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