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目に見えない環境汚染時代を生き抜くために21

   今年も余すところ僅かとなりました。2014年は皆さまにとってどのような一年として締めくくることができそうでしょうか?

 先月実施された第19回全国代理店会議において、元駐日イスラエル大使のエリ・コーヘン氏より、宮本武蔵が晩年に記した『五輪書(ごりんのしょ)』が 1970年代に米国で出版されるやベストセラーになったというお話がありました。生涯無敗の武蔵が説く兵法や剣術、心構えが経営哲学としてビジネスマンに 受け入れられたことは日本人として誇りに思いますが、今日に至るまで様々な翻訳書が出版されており、武蔵の真髄がどこまで伝えられてきているのかは謎で す。初版翻訳本は戦略の古典ガイドとして紹介されています。日本でも数多くの現代訳や解説書が出版されています。

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 武蔵が『五輪書』を書き上げたのは1645年。当時のアメリカは、先住民族のネイティヴ・アメリカン(インディアン)が亀の島と呼んでいた北米大陸にカ トリックに続いてプロテスタントの清教徒たちが入植していた時期と重なります。日本は江戸時代が始まり、戦乱の世の中から一転して太平の世が264年間続 くことになります。

 武蔵が生か死かの戦いに明け暮れていたのは30歳になるまでのお話。幕藩体制の下で士農工商という身分制度が定められ、好戦的な武士にとってはどこか物 足りない時代になってしまったのでしょうか。武蔵は文人としての才覚を表し、書画や木彫も遺しておりますが、それだけではなく、建築土木や設計、造園の分 野においても才能を発揮し、明石の円珠院や本松寺の枯山水の庭園、明石城の造園を担ったと伝えられています。

 ここで、『五輪書』を読む時間のないお忙しい皆さまのために、そのエッセンスだけを抽出してご紹介したいと思います。武蔵は同書の中で、武芸者を大工の ようなものだと喩え、戦略を分かりやすく解説しています。皆さまと所縁ある比喩の箇所をとりあげますので、ビジネスのヒントとして頂ければ幸いです。

 『五輪書』は、地・水・火・風・空の5巻から成り立っています。これらは『五大』と呼ばれる、宇宙を構成している5つの要素を表すもので、インド哲学に その起源を見ることができます。日本には平安時代に仏教系密教の『五輪』として伝えられ、五輪塔が供養塔として建てられるようになりました。現在も五輪塔 は墓石として建てられており、その美しい形状に思わず目を奪われることがあります。

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 『五大』における『地』は、大地であると同時に固体を表しますが、『五輪書』の『地』の巻においては、兵法の原論が二天一流を中心に記されています。兵 法の道を大工に喩え、大将は棟梁と同じとし、天下や国、家の規則(或いは尺度)を重んじ、宮殿楼閣の設計を理解し、人々を使って家を建てるものだとしてい ます。家で強度が必要となる箇所の木材をよく吟味して選べば、崩れにくくなると説きます。

 棟梁が大工を使う場合は、腕前の上・中・下を知り、床まわり、戸障子、敷居、鴨居、天井などにそれぞれ使い分け、腕の悪い大工には根太をはらせて、もっ と悪いのには楔を削らせます。人を見分けて使えば、仕事もはかどり手際も良くなるものです。そのために、気を緩めず(手抜きをせず)、気(気質・神経)の 上・中・下を知り、ときに励まし、無理(限界)を知ることが棟梁の心得とのこと。兵法の道理もこのようなものだとしています。

 現代風に解釈すれば、適材適所ということになるでしょうか。人を使うという表現は余り好ましくありませんが、武蔵は個の技量というよりも、組織や集団と して能力を発揮し、持続可能なものにしていくために必要とされる原則を記しており、組織論として捉えることもできるでしょう。

 続いて、大工は自らの手で道具を研ぎ、色々な工具をこしらえて、それらを道具箱にいれて持ち、棟梁の指示するところに従って、柱・梁を手斧で削り、床や 棚を鉋(かんな)で削り、透し物や彫り物をして、寸法を調整し、隅々まで手際よく仕上げるのが大工の心得だとしています。大工が自らの手で仕事を覚え、墨 金(曲尺を使って必要な線を木材に引く技術)を身につければ、後は棟梁になるものだ、と。

 大工の嗜み(たしなみ)とは、よく切れる道具をもち、暇さえあれば研ぐことが肝要。その道具を手にとって、御厨子や書棚、机卓、行燈、まな板、鍋の蓋も 上手につくるのが大工にとって必要なこと。大工が心がけるのは、後になって木がひずまないようにすること、ぴったり合わせること、鉋でよく削っておくこ と、後にねじれたりしないようにすることが大事。兵法の道を学ぼうと思うのであれば、ここに書き記したこと一つ一つに念を入れてよく吟味しなければなりま せん。

 以上、棟梁と大工の比喩を用いながら、士卒の立ち振る舞いについて描かれていますが、どの業界にも通じるものではないでしょうか。ツールを数多く準備し て入念に手入れをし、それらを使いこなす技量を磨き続けることは日本のものづくりの原点でもあり、品質管理や社員教育にも生かされています。現に日本の工 作機械メーカーの受注額が27年連続で世界一の実績を誇っていることや、日本の町工場における世界水準のものづくりもその証左と言えましょう。

 前述の通り、武蔵は書画のみならず、木彫りの鞍や小柄、不動明王も作ったと言い伝えられており、建築技術にも精通していたと考えられています。武蔵が本 書を書く決意をしたのも、武士をとりまく当時の状況(剣術を教える道場が流行し、新しい流派をつくり、芸を売り物にする武芸者が続出)に警鐘を鳴らし、 「そうしたところで学んでも真実の道を会得することはできないし、そんなに簡単に身に着くものではない!」と喝破する意図もあったのではないでしょうか。 『生兵法は大怪我の元』という諺を武蔵自身が『地』の巻で使っていたことを知り、納得しました。

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 次の『水』の巻は、武蔵の太刀筋を初歩から細かく解説しています。二天一流の剣技にご関心のある方には、『水』の巻をご覧ください。二天一流の心は 『水』を手本にした勝利するための方法であるものの、文書を読んだだけでは兵法の道には達せず、倣おうとするのではなく自分のものとすること、つまり、自 身が発見した勝利法としなければならない、と序文に記されています。心の持ち方や目つき、顔つき、姿勢、目付、太刀の持ち方、構え方、拍子のとり方、打ち 方、受け方、刺し方などの説明後、後書きに、「千日の稽古を鍛とし、万日の稽古を錬とす。」と締めくくっています。鍛錬を積んだ、と主張するためには少な くとも1万日は稽古を続けなければならないということですね。

 次の『火(か)』の巻においては、実践において戦いを有利に進めるための戦略について記されています。武蔵は一対一の個人戦のみならず、集団が相 手の命がけの戦いにおいて勝つ道を確実に知ることこそが我が道の兵法だとしています。一人で十人に勝ち、千人で万人に勝つ道理は同じとのこと。しかしなが ら、千人で演習することはできないので、一人で太刀をとったときも、相手の智略を推測し、強弱、作戦を知り、万人に勝つところを極め、その道の達者とな り、朝夕鍛錬して磨き続ければ、自由を得て、神通力という不思議な作用が生じるとしています。

 ◎太陽を背にして戦う、敵よりも高いところに構える(戦う場を見極める)
◎敵が何かしようとする矢先に出鼻を抑えこむ
◎敵の位に応じて自らの技能を自覚し理性によって危機を乗り越える
◎敵の戦い方や勢い(集団の場合)、流派、強弱、性格(個人の場合)を見極める
◎崩れる瞬間に一気に強烈に追撃する
◎敵の身になって考える
◎敵の位が分からないときは強く仕掛けるように見せて敵の手立てをみる
◎心身をゆるめ、敵にうつってたるんだ瞬間に先に仕掛けて勝つ
◎敵をむかつかせて動揺しているうちに攻撃を仕掛けて勝つ(巌流島の戦い)
◎敵を大声や予期しないことで脅かして勝つ
◎攻撃目標を変えながらつづら織(じぐざぐ)に戦う
◎同じ攻撃は2回まで(3回はしない)
◎敵ともつれたら新しい戦い方で勝つ

 中にはフェアプレー精神に照らしてどうなのかと思われる内容もありますが、生きるか死ぬかの戦いに勝つために武蔵が実践してきた戦略と言えるでしょう。 スポーツにおいてもマラソンでランナーズハイという現象があるように、武道も極めれば脳内のエンドルフィンが分泌されてくるのかもしれません。

 『風(ふう)』の巻において武蔵は他の流派の批判を繰り広げますが、他の流派の道を知らずに二刀一流の道を確実にすることはできないとし、他の流派の善悪理非を明らかにすることで二刀一流の長所をつまびらかにしています。

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 最後の『空(くう)』の巻は序文とも解釈されるほど短い内容となっていますが、ここに武蔵が達した境地が描かれていると考えられています。

空という心は、物事の形なきところ、知れざることを空と見立てる
有るところを知りて、無きところを知る、これがすなわち空である

武士は兵法の道を確かに覚え、武芸にも勤しみ、武士の行う道に少しも暗からず、心の迷うところなく、日々鍛錬し、心意二つの心を磨き、観見二つの眼を研ぎ、少しも曇りなく、迷いの雲の晴れたところこそ、真実の空と知るべき

空を道とし、道を空と見る

 筆者は過去に5年程、居合の稽古に励んでいた時期があり、師匠が武蔵の二天一流を追及されていたことから、居合の型のみならず、心構えや剣禅一如 の教えを受けていました。また、夏には鹿島神宮の境内にある神武殿における古武道合宿で他の流派の方々と共に稽古をつけて頂きました。当時は余り意識して いませんでしたが、五輪書を読み直すにつれ、師匠が伝えようとしていたことを僅かながら確認できたような気がしています。いつか稽古を再開したいと考えて おりますが、居合は中高年になってからでも気軽に始められますので、ご関心のある方は身近にある道場の門戸をたたかれては如何でしょうか。

 武蔵は『五輪書』のベースになったと言われる『兵法三十五箇条』を1641年にまとめていますが、三十五箇条を記した後に、三十六箇条に『万理一 空の事』と題して「万理一空の所、書きあらわしがたく候へば、自身工夫なさるべきものなり」と、意味の解釈をそれぞれの読み手の工夫に委ねています。万理 一空とは、「すべての物事は一つの空の下で起こっていると冷静に捉えること」であり、武蔵が『空』の巻で表現しようとしたことに繋がっていきます。

 「万理一空の境地を求めて、日々稽古に精進致します」と2011年の大関昇進時の伝達式で引用したのは琴奨菊関でしたが、最近の成績は今ひとつ。近年の角界は外国人力士が幅を利かせていますので、日本人の関取衆にも頑張って欲しいものです。

 筆者は佐渡ケ嶽部屋とご縁があり、イスラエル場所(2006年)とオランダ場所(2009)のお手伝いをさせて頂きました。史上初のイスラエル場 所はコーヘン氏の大使在任中に決行されましたが、別の機会にご紹介させて頂くことにしましょう。今回は、2009年に日蘭交流400周年記念行事としてオ ランダで開催された史上初の大相撲プロジェクトの様子を写真を交えてご紹介したいと思います。

 先代の佐渡ケ嶽親方(元横綱琴櫻)はイスラエル場所の後に逝去されましたが、聖地エルサレムに来ることができて本当に良かったとしみじみと仰って いたことが今も忘れられません。佐渡ケ嶽親方(元関脇琴の若)と海外留学経験のあるおかみさんは、本稿では書ききれない程さまざまなハプニングに見舞われ ながらも正々堂々と困難を乗り越えて両場所を成功させた立役者であり、日本の国技を通じた文化外交に一役買われました。

 相撲部屋単位の海外公演はその後禁止されてしまいましたので、またとない貴重な思い出となりましたが、改めて日本の国技の歴史や伝統について考え させられる機会となりました。コーヘン氏も武士道に関する著書の中で相撲道を日本の神道ゆかりの最も歴史と伝統ある武道として紹介しています。

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