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目に見えない環境汚染時代を生き抜くためにL

    春爛漫。桜前線が日本をかけのぼり、入社式や入学式など新しい門出に桜が花を添え、日本全国が希望と夢に包まれるひととき。会員の皆さまも、入社 された新入社員や進学されたご家族に期待しつつ、新年度の目標達成を目指し社員一丸となって取組み始められたことと思います。それとも、花見で乾杯が先で しょうか。

 日本には四季の移ろいがあり、それぞれの季節を美しく彩る自然の美があります。そして、その美を愛でるさまざまな伝統行事が日本全国に存在し、今日まで 受け継がれています。余り知られていませんが、江戸時代は世界でも稀な長期的に平和(戦争のない状態)が保たれた時代であり、当時の江戸は世界最大都市で もありました。その時代に、歌舞伎や浮世絵に代表される文化が芽生え、仁・義・礼を重んじる武士道と士農工商の仕組みの中で民度の高い社会が花開いたので す。

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 佐藤理事長が時折、環境マテリアル推進協議会や中でも遮熱研究開発指導連絡会のメンバーの皆さまのことを、いつかどこかで約束して再会した同志の ようだ、と例えられることがありますが、遮熱の普及を通じて地球環境改善を目指し邁進(猛進?)されている皆さまの姿は筆者の目にもどこか侍のようにうつ ることがあります。

 江戸時代は平和な時代であっただけではなく、世界最大の循環型社会であったことも立証されています。明治維新以降、西洋の文化にすっかり席巻されてしま いましたが、長年にわたって育まれた伝統文化は今も日本全国に息づいています。筆者は趣味で各地の美術館や神社巡りをしておりますが、全国各地にいらっ しゃる会員の皆さまを訪ねながら地域の伝統文化についても学んでみたいものです。

 また、江戸時代には、お蔭参りと呼ばれる伊勢神宮への集団参詣が60年周期で3回にわたって行われました。慶安3年(1650)、宝永2年 (1705)、明和8年(1771)、文政13年(1830)のことです。中でも宝永2年には50日間で362万人に達したとのこと。1700年当時の日 本の人口が推定で2769万人、中でも南関東の人口は約350万人ですから、ものすごいことになっていたと推測されます。

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 なぜ60年ごとにこれだけ多くの人々が参詣していたのかは謎に包まれているそうですが、お蔭参りと呼ばれていたのは、庶民が家や奉公先から抜け出 して(抜け参りとも呼ばれていました)江戸からは片道15日間もかかって歩いて参詣し、道中、沿道の人々に助けられなければ伊勢に辿りつくことができな かったことに由来しているそうです。

 一方、昨年は1300年の歴史を有する二十年に一度の式年遷宮が行われ、10月2日には皇大神宮(内宮)、10月5日には豊受大神宮(外宮)にて遷御の 儀が斎行されました。昨年の伊勢神宮の年間参拝者数は、内宮:885万人、外宮:536万人、合計1420万4816人と過去最高を記録しました。これ は、江戸時代のお蔭参りの人口比にも匹敵する集団参詣と言えましょう。

 皆さまは伊勢参りに行かれたことはあるでしょうか?近畿や東海地方の会員の皆さまにとっては身近な存在かもしれませんが、関東在住の筆者にとっては、長 年にわたり遠く離れた憧れの神宮でした。筆者が初めて伊勢参りをしたのは、1990年12月のことです。とある国際会議において基調講演をするために来日 したアメリカ人のミリオンセラー作家を京都、奈良、伊勢神宮を通訳としてご案内させて頂きました。

 あれから24年。波乱万丈ではありましたが曲がりなりにも生活してこられたのは、友人や家族をはじめ、仕事でお世話になっている方々や八百万の神々のおかげ、と思いたち本稿の取材も兼ねて久しぶりに出かけた「おかげ参り」の模様をお伝えしたいと思います。

 今回、伊勢参りを思いたった理由はもう一つあります。ニューヨークで知り合い、イスラエルやパレスチナを共に旅したことのある日本人女性写真家が式年遷 宮の写真を2006年から撮りつづけており、2月に伊勢神宮で撮影した写真のスライドショーとお話を伺う機会があり、これまでずっと行きたいと思いつつ諸 般の事情で参詣の機会を逸していたことに改めて気づかされたからです。

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 式年遷宮の翌年は「おかげ年」とのこと。ご多忙で参詣の都合のつかない方は是非、稲田さんの著書で伊勢神宮の息吹を感じて頂ければ幸いです。左側の著書 は出版社が倒産してしまいましたが、小学館文庫で出版されています。五十鈴川の水源からの清水が内宮・御手洗場に到達し、神さまの塩田のある河口へと続く 美しい風景や、稲のいのち、木のいのち、四季の巡りを写真に収めた右側のフォトブックも必見です。

 稲田さんのお話の中で最も印象に残ったのは、新しく造営される新生宮で使われる用材が伐採されるヒノキの名産地、木曽の御杣山(みそまやま)で は、平成17年に神を祀る山口祭をはじめ、ご神体をお納めする御樋代(みひしろ)の御料材を伐採する御杣始祭(みそまはじめさい)、伐採した御料木を神宮 まで運ぶ御樋代木奉曳式など一連の儀式が既に執り行われていたことです。

 神道にはユダヤ教やイスラム教のような絶対神はおらず、教義や経典もありません。私たち日本人は縄文時代から大自然に息づく命に神性を見出し、森 羅万象を崇めてきたDNAを受け継いでいるのでしょう。大都会で仕事に追われていると、自然との関わりや恵みに対する感謝の気持ちを失いがちです。忙しい ときこそ大自然や鎮守の森に赴いてリフレッシュしてみてはいかがでしょうか。

 出発は東京駅から新幹線で。仕事で忙しい現代人は東海道をのんびりという訳にはいきませんが、今回は雰囲気を味わうために『こだま』で停車駅の風景を楽 しみながら名古屋まで向かい、近鉄の『伊勢神宮参拝きっぷ』を利用して一泊二泊の駆け足で伊勢神宮を初めとする名所旧跡を巡って参りました。

 当初は初日に外宮、翌日に内宮と内宮の別宮である伊雑宮(いざわのみや)行きを考えていたのですが、翌日の天気が荒れることが予想されていた為、先に伊雑宮へ。ご覧の通り、とても簡素な駅です。伊雑宮は駅からすぐのところにありました。

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 鳥居をくぐり、手水舎でお浄めをしてから本殿に向かう途中に心惹かれる巨木と勾玉池がありました。池に続く階段や、向かいにある古井戸は禊で使われていたようです。御正殿は内宮の「唯一神明造」に準じており、その特徴は、

 @ ヒノキの素木造(しらきづくり)削ったままで色を塗らない
A 柱は丸柱で掘立式(地面の穴から立てる)
B 高床式(床を地面より高く建てる)
C 棟木を持ち上げる太い2本の「棟持柱」
D 屋根は茅葺で切妻形、反りがなく、平入
E 棟木の上には「鰹木」が6本置かれ、その両端には「千木」がそびえる

とのこと。

 御正殿は南向きで、二十の垣の中に建てられており、その西側には古殿地があり、今年の秋には新しい御正殿への遷御の儀が行われるそうです。(出典:伊雑宮周辺地区構想市民協議会発行資料)

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 また、伊雑宮の南側には御料田があり、毎年6月24日には御田植式が行われています。お祭りの起源は平安時代の終わり頃とも言われており、日本三 大御田植祭に数えられています。その祭りは若者が泥にまみれながら大きな団扇を奪い合う竹取神事、御田植式に続き、伊雑宮まで躍り込んでいくそうです。

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 なぜ伊勢神宮を構成する125もある神社の中から伊雑宮を参拝したのかを説明し始めると長くなりますので割愛させて頂きますが、日本書記にも「美(う ま)し国」と詠まれるほど海や山の幸に恵まれ、米づくりを通して八百万の神々に感謝しながら受継がれてきた伊勢の歴史絵巻をこの古い社で垣間見ることがで きたような気がしました。

 その後、鳥羽まで戻り、バスで二見の夫婦岩に立ち寄ってから翌日の参拝に備えて内宮の門前町、おはらい町を散策し、外宮の近くにある宿に辿りつき ました。宇治橋から五十鈴川に沿って軒を連ねる土産物店や飲食店の多くは、切妻、入母屋、妻入り様式で江戸時代にタイムスリップしたような雰囲気を醸し出 しています。おかげ横丁にも数えきれないお店がひしめき合っておりましたが、筆者が到着した午後5時頃にはどの店もシャッターを下ろし始め、ぎりぎり閉店 間際に赤福本店にすべりこむことができました。まだ数多くの観光客が石畳の参道を歩いているというのに商売っ気がないですね。

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 翌日は早朝に豊受大神宮(外宮)を参拝しました。内宮の創建後、500年後にご鎮座された豊受大御神を祀っており、衣・食・住をはじめ、あらゆる 産業の守り神として人間の営みを見守って下さっています。小雨のそぼ降る外宮の境内はひっそりとしており、厳粛な気持ちで境内にある土宮、多賀宮、風宮の 全てをお参りし、神路通を北上して月夜見宮に向かいました。

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 外宮と月夜見宮の参拝を終えて、朝食は「せきや」本店の「あそらの茶屋」にて朝粥を頂きました。写真左下のたれは、伊勢湾からあがる極上のアワビ のたれですが、伊勢神宮に祀られている神々にお供えするものとも同じ食材を頂いていることを文字通り噛みしめながらありがたく頂きました。

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 その後、内宮へと移動し、御垣内参拝を行って参りました。内宮には、皇室の祖先の神である天照大御神がお祀りされています。今回は可能であれば五 十鈴川での禊を行いたいと考えておりましたが日程が合わずに叶いませんでした。ところが、宇治橋の鳥居の前に到着するや大嵐となり、禊をするまでもなく全 身大雨に打たれながら宇治橋を渡り、手水舎でお浄めをした後に五十鈴川の御手洗場に到着すると、そこには見たこともない激流が轟轟と音をたてて流れており ました。

 当日は午後から晴れる予報でしたが、かような大禊を決行することこそが今回の旅の目的でもありましたので、神恩に感謝を捧げながら御正殿に向かい ました。何百年もの木々が立ち並ぶ神宮の森をまるでオーケストラのように大嵐が音をたてながら吹き荒れ、境内をそぞろ歩く人間を祓い清めて下さっているか のようでした。24年前に歩いた道のりを辿りながら人生を振り返り、御正殿における御垣内参拝を無事終えることができました。

 それから猿田彦神社を参拝後、江戸時代より外宮から内宮へと繋がる古市街道を歩いて再び外宮に戻り、伊勢市駅より名古屋経由で東京に戻りました。 ご察しの通り、内宮では写真撮影をする心身の余裕がありませんでしたが、午後には晴れ間が広がり、古市街道では麻吉旅館など江戸時代に栄えた遊郭の面影の 残る旧跡に立ち寄るなどして江戸時代の庶民の心に寄り添うことができたような気がしました。

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 世界各地の聖地を訪ねて参りましたが、今回は自国の神道の聖地にて改めて日本人として生まれてきた意味を考えさせられました。世界各国の文化や風 習をとりいれながらも日本風に次々と独自のものを創り出していく不思議な国NIPPON。その源泉を二十年毎に遷宮を繰り返す伊勢神宮の仕組みの中に見出 すことができたように思います。環境マテリアル推進協議会におきましても、創意工夫を通じてより良いものを開発していくことができますように。