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目に見えない環境汚染時代を生き抜くためにK

  2014年ソチ冬季オリンピックが無事終幕を迎え、国内の熾烈な競争を経て参加された選手一人一人が私たち国民に多くの感動と勇気を与えてくれました。日頃ご多忙の会員の皆さまもテレビの前で興奮のひとときを過ごされたことと思います。

 筆者は、5大会連続入賞を果たしたモーグルの上村愛子選手の競技終了後のすがすがしい笑顔と力を出しきれた喜びからくる涙が胸にせまりました。また、史 上最多計7回の冬季オリンピックに出場して見事ラージヒルで初めての個人メダルとなる銀メダルを獲得し、世界を驚かせた葛西紀明選手の活躍には日本のみな らず世界中の多くの人々が励まされたのではないでしょうか。

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 勝敗の競技の世界で戦い続けているスポーツ選手の日々の努力や鍛錬にはいつも頭が下がりますが、オリンピックという舞台はゴールであると同時にチャレンジ続きの人生の一里塚でもあることを二人の選手をはじめ、各競技に連続出場している数多くの選手が教えてくれました。

 スポーツ選手の活躍とは裏腹に、マスコミやスポーツ業界では、とかくメダルの色や数が取りざたされ、長年にわたるスポーツ競技生活を通じて国内のスポー ツ振興に貢献してきたアスリートへの感謝の気持ちが伝わってこないのと、商業化され過ぎたり、政治利用があったりと、スポーツやオリンピック本来の意義や 原点から遠ざかってきているように感じているのは筆者だけでしょうか。

 スポーツの持つ力を実感できる機会としてオリンピックはこれからも大きな舞台で在り続けると思いますが、「スポーツを通して心身を向上させ、さらには文 化・国籍など様々な差異を超え、友情、連帯感、フェアプレーの精神をもって理解し合うことで、平和でよりよい世界の実現に貢献する」という、クーベルタン が提唱したオリンピックのあるべき姿(オリンピズム)にたちかえる舞台であってほしいと思います。

 ソチ冬季オリンピックは閉幕しましたが、3月7日(日本時間8日)よりソチ冬季パラリンピックが開催されます。9日間にわたって、アイススレッジ・ホッ ケー、車いす・カーリング、バイアスロン、クロスカントリー・スキー、アルペン・スキーの5競技が行われます。どのような競技かご存知のない方は是非この 機会に観戦してみてはいかがでしょうか。

 オリンピックのようにテレビ各局における頻繁な放映は残念ながらありませんが、テレビガイドは下記のサイトをご参照ください。 
http://tv.yahoo.co.jp/tv_show/paralympic2014/?t=1%203&a=45&s=1

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 さて、今回は中東のパレスチナより、社会起業家であるカナーン・フェアトレード社のナセル・アブファーファ社長が来日しているため、アブファーファ社長が地元で取組む社会事業についてご紹介したいと思います。

 国際協力や開発の分野では、これまでの政府開発援助(ODA)主導の援助への反省がなされ官民連携を推進する動きが広がっていますが、まだまだ日本の現状は欧米に比べると遅れをとっており、途上国支援=ODAという認識のままとなっています。

 援助を受けた途上国の現場で使われていない或いは廃棄された数多くのハードを目にしてきた筆者は、世界経済の底辺を支える中小企業にこそ国境を超 えたビジネス取引を通じて開発分野に大きなインパクトを与えることができると確信するところがあり、一昨年から途上国における中小企業の実態調査を進めて います。

 昨年はパレスチナとイスラエルの建築事情についてご紹介させて頂きましたが、現地を訪問した理由も、青少年交流のNPO活動に加えてパレスチナに おける実態調査をするためでした。両者は長年にわたる紛争状態にあり、筆者が初めて現地を訪ねた2000年以降も中東和平の進展はありません。アラブの春 以降は隣国シリアにおける内戦が激化しており、シリア国民のみならず同国内のパレスチナ難民も周辺国に逃れて劣悪な環境の中での生活を余儀なくされていま す。

 国家をもたない民族はパレスチナ人だけではありません。クルド人やチベット人、カレン人など、世界中にさまざまな民族が各国に離散して生活を営んでいます。島国で均質的な日本で暮らしていると感覚的に理解しにくいかもしれませんが、それが世界の現状でもあります。

 2月に駐日アラブ大使夫人の会が都内で主催した、国際連合パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)が取組むパレスチナ難民キャンプ救済支援の チャリティイベントに参加して参りました。ヨルダンのUNRWAにてシリアから逃れてきたパレスチナ難民支援に携わる保健局長の清田明宏医師は、シリア国 内のパレスチナ難民キャンプから命からがらヨルダンに逃れてくる難民が何カ月もほとんど食事ができない状態のままシリア国内で放置されていた危機的な状況 を訴え、チャリティイベントの収益を難民救済のために全額使うことを約束されました。

 シリア国内で化学兵器が使用されたことはニュースでも大きく報道され周知の事実となっていますが、世界各地で進行している環境汚染の元凶の一つに 世界各国の紛争地で使用されている兵器が挙げられることを強調したいと思います。武器商人たちは、NBC、つまり、N (Nuclear:核)、B(Biological:生物)、C (Chemical:化学)兵器の製造とその防衛手段の開発をイタチごっこのように繰り返しながら巨万の富を手にしていることを忘れてはなりません。 NBCによる無辜の市民の殺戮は許されるものではなく、環境汚染は人災も甚だしいものです。

 日本では余り知られていないことですが、ヨルダン国民の大多数がパレスチナ人であり、世界の王族の中でも最も美しく才媛との誉れの高いラーニア王 妃でさえもパレスチナ人なのです。チャリティイベントはオマーン大使館にて開催されましたが、駐日アラブ大使夫人の会の会長を務めるヨルダン大使夫人が 「皆さん、日本のテレビやニュースで流されることだけを信じないでください。現地で本当に何が起きているのか、是非ご自身で調べてください」と切実に訴え られていました。

 パレスチナに関するニュースは紛争にまつわる負の側面しか伝わってこないことが多く、日本では危険地帯というイメージがすっかり定着しています が、実際にはヨルダン川の東岸に位置するヨルダン・ハシェミット王国のみならず、パレスチナのヨルダン川西岸地区だけでも260万人以上のパレスチナ人が 生活しており農業を主体とする経済活動が日々営まれています。

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 パレスチナでの生活には移動の制限などさまざまな制約や規制があり、第一次中東戦争以来、隣国ヨルダンに移住してヨルダン国籍を取得するパレスチ ナ人も後を絶たなかった訳ですが、ビジネスで成功して財を成した人々が数多く存在する一方、パレスチナ難民キャンプで暮らし続けるパレスチナ人との格差が 広がっています。

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 アブファーファ社長は、1964年にパレスチナのヨルダン川西岸のジェニンという北部の小さな農村で生まれ、カナダで高校を卒業するとアメリカの 大学に進学してコンピュータ・サイエンスを学びました。同氏のように欧米に留学する人は当時ほとんどいなかったそうです。卒業後はジェニンに戻って仕事を 探しましたが、第一次インティファーダと呼ばれる「イスラエルによる軍事占領に対する民衆蜂起」が発生したばかりで就職どころではありませんでした。そこ で、アメリカのハイテク業界に就職したものの何かしっくりこないものを感じ、食品業界への関心が強まると、1996年にウィスコンシン州のマディソンでレ ストランを開業しました。

 パレスチナ人はイスラエルが建国された1948年に勃発した第一次中東戦争を経て周辺国のシリアやレバノン、ヨルダンのみならず、欧米にも離散し ています。周辺国のパレスチナ難民キャンプには今も30万人を超える重貧困層が存在しています。ユダヤ人が2世紀にローマ帝国によりイスラエルから追放さ れて地中海周辺各地に離散したことにも似ていると言えましょう。日本では知られていないことですが、イスラエル国内に残留したパレスチナ人も多数おり、イ スラエル市民権を持ちアラブ系イスラエル人として暮らしています。

 アブファーファ社長は、アメリカのウィスコンシン大学マディソン校で文化人類学と国際開発学における博士号を取得すると、そこで学んだ途上国開発 手法であるフェアトレードを自らの手で行う決意をしてパレスチナに帰還したのです。パレスチナのヨルダン川西岸には見渡す限りのオリーブ畑が広がってお り、農業が同地域の主たる産業となっています。

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 そこで、アブファーファ社長はオリーブの小作農家たちを組織化して地元にパレスチナ・フェアトレード協会を創始し、10年間で1700以上の農家と提携しました。
そして、2004年にカナーン・フェアトレード社(以下、カナーン社)を設立し、フェアトレード商品として欧米への輸出がスタートし、2013年からは日本への本格的な輸出も始まりました。

 旧約聖書の時代から「乳と蜜が流れる土地」と呼ばれるパレスチナは、古代より「肥沃な三日月地帯」に豊かな大地が広がり何千年にもわたって農業が 営まれてきました。上の写真にあるルミの木は、ローマ軍がパレスチナを占領した紀元前後にローマからパレスチナにもたらされたという品種であり、パレスチ ナの歴史を見続けてきたシンボルでもあります。

 パレスチナには世界各国からの巨額の援助金が流入し、日本も最大の援助国の一つに挙げられますが、援助総額は12億米ドル(現在のレートで 1200億円)を超えています。筆者の盟友である国際ジャーナリストの大高未貴さんは、援助の始まった90年代半ばからガザへの取材を度々行い、援助の受 け皿となったパレスチナ自治政府の豪邸が建ち並び、ベンツやBMWなどの高級外国車を乗り回している腐敗ぶりを誰にも先駆けて報じていました。

 一方で主力産業の底辺を支える小作農が貧困層のまま今日に至っている状況を変えようと立ち上がったのがアブファーファ社長でした。カナーン社がで きた当時のオリーブオイルは1キロあたり2ドルで取引されていました。その価格では持続的な農業を営むことはできず、先進国のような農業補助金もないた め、農業を諦めて農地を放棄する農家も多く存在していました。

 そこで、アブファーファ社長は、買い取り時の最低価格をキロあたり4ドルに設定し、豊作不作にかかわらず保証することにしたのです。ヨルダン川西 岸人口の25%を占める農民の貴重な収入源をオリーブ産業で賄っていくため、フェアトレードの導入により欧米への輸出をはじめ、見事なまでに市場価格を維 持し続けています。

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 カナーン社は、ジェニンの中心街を通り過ぎた近郊のベルキンという村にありますが、そこはキリストがハンセン病(らい病)患者を癒した聖地でもあ ります。小さな商店がひしめき合う雑然とした中心部や難民キャンプのある地区からは想像すらできない、洗練されたデザインの本社と最先端のオリーブの圧搾 機やボトリングラインが立ち並ぶ工場やショールームの視察をさせて頂いたときには、これが本当にパレスチナなのか?と目を疑うほどでした。

  カナーン社は、有機認定を取得した最高級のエクストラバージン・オリーブオイルを生産し欧米でも数々の賞を受賞しているほか、アブファーファ社長も世界各国で社会起業家として注目を集めています。

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 筆者が2012年に初めて訪問した日は、奇しくも10年前にジェニンの難民キャンプでイスラエルの軍事作戦により数多くの死者がでた日でもありま した。カナーン社を訪問後に難民キャンプを訪問すると、道端に腰かけていた青年がキャンプ内を案内してくれました。まるで迷路のように細い道が張り巡る キャンプ内には当時の戦闘の傷跡が残っており、生活している人々の姿がありました。案内を終えると青年は「実は10年前に弟が殺されたんだ」と言い残して 去っていってしまいました。

 アブファーファ社長は、ドイツ、ドバイの展示会を経て来日し、3月5日〜7日まで幕張メッセで開催されるFOODEXという食品の展示会に出展す るため、JETROの支援で来日し、ロサンゼルスの展示会へと移動するとのこと。日本においては、オーサワジャパンというマクロビオティック食材の卸問屋 のプライベート・ブランドとして昨年より発売され好評を博しています。

 パレスチナでアブファーファ社長のような社会起業家が活躍し始めたことは大きな希望であり、パレスチナの産品はイスラエルを経由してしか輸出ができない 構造となっているものの、イスラエル側の協力者たちがビジネスとして下支えしてくれていることも特筆すべきことでしょう。

 イスラエル・パレスチナ紛争は代理戦争とも言われるほど利害関係が複雑に絡んでいるものですが、双方に平和を希求している一般市民が数多く存在していることや、アブファーファ社長のような中小企業が活躍し始めていることも記憶にとどめて頂くことができれば幸いです。

 久しぶりに再会したアブファーファ社長は、福島の人々は大丈夫なのか?と気遣い、現在進行形の福島原発の問題が続く中、地元で奮闘している佐藤理事長の 話をすると激励の言葉を頂きました。パレスチナの人々にとって日本は、軍事大国アメリカと戦い、第二次世界大戦後に焦土と化した国土を蘇らせて経済繁栄を 成し遂げた奇跡の国であり、憧れの国でもあります。環境をより良いものにしていこうと活動している人々が国境を超えて連帯していく流れをつくっていけたら と考えています。

 創世記の章には、大洪水の後に鳩がオリーブの小枝をくわえて戻ってきたという記述があります。オリーブは平和と繁栄と知恵の象徴としてパレスチナの地で 大切に育てられてきました。今日も中東和平が実現することを祈りながらオリーブオイルを健康増進も兼ねて頂くことにしましょう。

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